2025年 04月 20日
4月20日は、二十四節気の方は『穀雨』、立春から始まった春の節気も6番目、「晩春」の後半となります。
『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されております。
『穀雨』は「百穀春雨(ひゃっこくはるさめ)」に由来し、春雨が百穀を潤して成長させる時季という意味です。
「瑞雨(ずいう)」とも呼ばれる春の恵みの雨が、全ての穀物を育てるかのように、しっとりと降り注ぐ頃合いであり、気温も安定して降雨量が増え始めるので、田畑に種を蒔く準備をする目安とされております。

七十二候では16候、穀雨の初候、『葭始生(あし はじめてしょうず)』の始期です。
水辺の葭(あし)が芽吹き始める頃。山や野でも植物が一斉に芽吹いて、若い緑が美しく輝き始めます。
『穀雨』の節気は、初侯は植物シリーズの一つとして「葭」の世界、次候は春秋で対を為すテーマ「霜」と植物&穀物シリーズの稲の「苗」の組合せ、そして末候では、植物の中でも花シリーズから「百花の王」とされる「牡丹」が登場し、春の6つの節気・18個の候のラストを飾ります。
「葭」は、川辺や沼辺などの低湿地に群生するイネ科の多年草であり、「葦」「芦」「蘆」という漢字でも表され、読み方も本来の「あし」に加えて、「悪し」を「良し」に転じたとされる「よし」との両方が使われます。
水辺で最も大きな草本植物の一つであり、地中に長い地下茎を這わせて広がります。
河口や海辺など、淡水と海水が混在する汽水域でも群生し、場所によっては「葦の原」を形成します。
葦の新芽・若芽のことを「葦牙(あしかび)」といい、芽吹くことを「角(つの)ぐむ」とも表現します。
春、水面に顔を出してくる葦の新芽は、まるで牙や角のように、まっすぐに力強く天を指して生育します。
夏にかけて背を伸ばし、草丈は1~4メートル、暑い夏ほど良く成長し、5メートルを越えて成長することもあります。
茎の中は空洞になっており、秋にはふさふさとした黄金の花穂を風になびかせます。
日本神話では、『古事記』の最初の方に「葦牙」という言葉とそれに由来する神の名が早々に登場し、葦は日本の植物の原点とも言うべき存在です。
古代、『日本書記』も含めて、日本は古名で「葦原中国(あしはらのなかつくに)」と称され、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国」という美称で呼ばれておりました。
豊かに葭の生い茂った、みずみずしい稲穂が実っている美しい国という意味ですが、水辺では至るところに葭が生い茂っていた様子が目に浮かびます。
関西では「芦屋」、江戸では「吉原(葭原)」が有名ですが、今でも全国各地に葭に由来する地名が残されております。
俳句の世界では、「蘆の角」「蘆の芽」「蘆牙」「角組む蘆」などは、春の季語です。
古典俳諧、特に江戸時代の三大俳人の句は見つかりませんでしたが、近代・現代の俳人たちは、様々な句を残しております。
近代日本文学の文豪の一人であり、明治を中心に活躍し、多くの傑作小説で知られる夏目漱石においては、大学時代に正岡子規と出会って俳句も嗜んでおり、「蘆の角」について次の句を詠んでおります。
「曳船や すり切つて行く 蘆の角」 夏目漱石
また、高浜虚子に師事し、昭和を代表する女流俳人として活躍した中村汀女には次の句があります。
時代は異なりますが、いずれも眼前に「蘆(芦)の角」の広がりが現れた情景を動的に捉え、新鮮な驚きを表しているようです。
「柔らかに 岸踏みしなふ 芦の角」 中村汀女
葭は、古今東西、現代にいたるまで、人々の生活にとって、とても役に立つ有用な存在です。
葭の茎は長い上に、竹同様に中が空洞なので、軽くて丈夫な素材であり、いろいろと使い途があります。
日本で最も身近に感じるのは、「葭簀(よしず)」といわれる簾(すだれ)の原料になっていることです。
夏の窓辺にかけるだけで、厳しい太陽光を遮り、快適な空間を作り、涼しさを演出してくれます。
また、茅葺き民家の屋根材や垣根などにも利用されて、人々の生活を手助けしてくれます。
楽器としては、古くから「葦笛(あしぶえ)」があり、西洋木管楽器のリードも語源は葦で作られたことを示しています。
世界の様々な地域の神話や民話にも登場し、特に「葦舟」は、古代エジプトや南アメリカのチチカカ湖が有名ですが、日本神話にも登場します。
葭は、自然界の生き物たちの生活にとっても、とても大切な役割を果たしています。
葭が群生すると多数の茎が水中に立ち並ぶので、コイ・フナなどの川魚や水生昆虫など、水生動物にとって格好の隠れ家や住み処になります。
鳥たちにとっても「葦の原」は安息の場所であり、13候で登場したツバメをはじめ、ヨシキリ(葦切)、ヨシゴイ(葦五位)などのねぐらとなります。
更に、葭は窒素やリン酸を養分にして育つので、プランクトン等の量も一定に保たれ、良い環境を維持してくれます。
「葦の原」は、水質浄化作用に優れており、また陸地と河川の緩衝地となり、生態系を安定的に保ってくれているわけです。
様々な生き物たちにとって貴重な揺籃となり、人の暮らしを昔から豊かにしてくれている葭。
その生育力・繁殖力はとても強い一方で、強い風に対しては、柔軟にしなって曲がり、ゆらゆらと揺れてしのぎます。
日本画の世界では、葦と鷺の組合せで描かれることが多いようで、江戸時代の絵師では、歌川広重の「葦に鷺」、鈴木春信の「鷺と葦」などがあります。
蒔絵や青磁にも「葦鷺」を題材にしたものが残されており、家紋にも「葦に向かい鷺」というものがあり、また、着物の刺繍柄としても葦と鷺がデザインされたものを多く見かけます。
欧州では、17世紀のフランスにおいて、哲学者・数学者・物理学者であり、思想家・発明家・実業家でもあった、ブレーズ・パスカルは、死後に遺族などが編纂して刊行した書籍、『パンセ』の中において、「人間は考える葦である」という有名な言葉を残しました。
人間は、ひとくきの葦にすぎず、自然の中でひ弱な存在であるが、思考を行う点で他の動物とは異なっており、有限で矮小な生き物ではあるが、考えることを通して宇宙をも超える無限の可能性を持っていることも、示唆していると言われています。
また、17世紀のフランスの詩人、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌは、イソップ寓話を基にした寓話詩で知られていますが、「オークと葦」の寓話では、傲慢なオーク(樫の木)は強風に立ち向かって倒れてしまったのに対して、葦の方は倒れないように自ら折れて風雨を凌いだ話を描いています。
欧州では、「嵐が来れば、オークが倒れるが、葦は立っている」ということわざもあり、葦は弱さの中に強さを持っている存在とされているようです。
水辺にも到来した春が、盛りの時季を迎えて、夏に向けて更に輝きを増す素敵な時季です。
『穀雨』らしい風景を意識して、時に五感で楽しみ、また、想像力を働かせて心に描くなどして、季節感を味わいながら、豊かな時を大切にしていきたいものです。
私たち人も、葭の姿の如く、内なる力強さを大切にして、自然に逆らわず、しなやかな生き方を心掛けて、フレキシブルに暮らしていきたいと思う次第です。
その上で、「考える葦」である人としては、しっかりと思考することで、未来に向けて、新たな可能性を追求し、よりよい社会を築いていくために、力を尽くしていくことが大切です。
人生を通して、学業においても、ビジネスにおいても、日々の生活においても、自らの「思考力」を高めていくことに終わりはなく、永遠の課題とも言えます。
「思考法」として様々な方法論が提唱されていることにも理解を深め、問題の本質に迫って解決に近づけるように、柔軟性・多様性を意識して「思考力」を磨いていきましょう。
地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。
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by 72microseasons
| 2025-04-20 08:01
| 穀雨(こくう)
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