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2026年 03月 05日
3月5日は、二十四節気では3番目の節気の『啓蟄(けいちつ)』、「啓」はひらくの意、「蟄」は虫などが冬ごもりで土中に隠れ閉じこもることを意味しており、大地が温まって、土の中で冬ごもりをしていた虫が春の気配を感じて動き出す時季です。 ![]() 『暦便覧』では『啓蟄』については、「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されております。 前節の『雨水』以来、春の雨の潤いにより、植物は芽吹きの季節を迎えておりますが、太陽の高度も上がり、大地も温まりだして、虫や小動物も目覚めの時季を迎えます。 七十二候では7候、啓蟄の初候は、『蟄虫啓戸(すごもりのむし とをひらく)』の始期であり、二十四節気の内容と完全に一致します。 春の日差しの温もりを感じて、戸を啓いて外に顔を出すかのように、土中で冬眠していた虫たちをはじめ、冬ごもりをしていた生き物が姿を現わす頃。 因みに、二十四節気と七十二候・初候のテーマが完全に一致するのは、この『啓蟄』以外では、仲秋の『白露』と『草露白』、晩秋の『霜降』と『霜始降』だけです。 『啓蟄』の節気では、続く次候では、『立春』から咲き始めた梅の花に続いて、桃の花が微笑むがごとくに咲き開き、末候には、美しい蝶が羽化して辺りに飛び始め、『啓蟄』は、「仲春」の前半にあって、まさに虫から始まって虫に終わり、本格的な春が到来したことを伝えて、次の節気の『春分』へと季節を繋いでいきます。 また、七十二候では、9月下旬の『秋分』の次候、47候が『蟄虫坏戸(むしかくれて とをふさぐ)』であって、対の関係を為しております。 この7候以降、春の候と秋の候で、同じテーマを取り扱っている候が幾つか登場し、2候が一対の関係となってコントラストを効かせて、季節の変化を演出していきます。 特に7候は、秋が深まる中で冬支度をして、地中などに姿を隠して、まるで入口の戸をふさぐが如くに、冬ごもりをしていた生き物たちが、この時季、半年近い月日を経て、再び活発に活動を始めるということであり、長かった冬の終わりを実感する内容の時候です。 虫という表現については、古来、昆虫だけではなく、蛇や蛙、爬虫類や両生類が念頭にあり、冬眠から目覚めるすべての小動物のことを表していると解釈されます。 蛇や蛙も、漢字を見ると虫偏ですが、中国にて「虫」という漢字の由来はヘビをかたどった象形文字であり、虫とは本来はヘビのことでした。 日本でも、大和言葉の「むし」については、古くから「まむし」という表現があるように、蛇は「むしの中のむし」だったと思われます。 蛇は、古代人にとっては、畏怖と信仰の対象であり、神聖なものとされていたようで、日本では神話にも登場し、各地での信仰が伝承されております。 蛇への信仰は世界レベルのもので、文化にもよりますが、古代のギリシャ・エジプト・中国・インドなどでは、神話があり、神性の象徴でありました。 絵画・芸術の世界でも、古今東西において、神性を表す蛇を題材やモチーフにした様々な作品が作られており、大切にされております。 日本画の世界では、江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎は、多彩な画法でありとあらゆるものを描き、西洋の芸術家たちに大きな影響を与えた偉大な芸術家ですが、蛇を描いたものとして、肉筆画では「蛇と小鳥」「琵琶に白蛇図」、木版画で「雉子と蛇」「白蛇と雀」など、印象的な優れた作品が挙げられます。 「蛇と小鳥」「白蛇と雀」は、音もなく獲物にしのび寄る蛇と、未だその存在に気がつかない鳥のコントラストが絶妙であり、場面の緊迫感に引き込まれます。 「雉子と蛇」は、69侯で取り上げた雉(きじ)の体に蛇がするすると巻き付いている構図ですが、雉は1月にご紹介したように勇猛果敢で、身体に巻き付いた蛇を断ち切ってしまうほど力が強いと言われており、お互いに間合いを計るような緊張感に釘付けになるような迫力があります。 一方、「琵琶に白蛇図」は、琵琶をつつむ色鮮やかなインド風の布地に、妖艶な美しさを持つ赤目の白蛇が絡みついている様子を描いておりますが、琵琶は七福神の一人として知られる弁財天の持ち物であることから、白蛇が財福や技芸の女神である弁財天の使いであることを暗示している神性の高い貴重な絵です。 「啓蟄」は、冬の間、土の中でじっとしていた虫たちが「蠢く(うごめく)」ようになり、外に這い出てくる様子を表しておりますが、「蠢く」という漢字は、「春」の字の下に「虫」が2字並んでおり、まさにこの頃合いの虫たちの動きを表現しているわけです。 『立春』の後、その年に初めて鳴る雷は「初雷」ですが、「虫出しの雷」や「蟄雷(ちつらい)」とも呼ばれており、『啓蟄』の節気は、初雷の時期と重なっているようです。 雷様が春の到来を告げ、虫たちを土中から誘い出しているような意味合いであり、土の中で戸を塞いでいる生き物たちにとって、雷が目覚ましの役割を果たしているかの如くです。 これから徐々に目覚めの時を迎える生き物たちは、久しぶりに感じる爽やかな風と麗らかな春の光の中で、生き生きとして、次第に活動が活発になっていきます。 生き物たちの世界は、仲春に至って漸く「静」から「動」へと転じ、秋が深まっていく時季まで半年有余、種の多様性を背景に協奏曲でも奏でるように賑やかになっていきます。 「余寒いまだ尽きず」とも言われる時季ですが、次節の『春分』に向けて、目立って日が長くなって来るのを感じられる時期であり、「光の春」が進んでいきます。 またこの頃は、一雨降るごとに暖かくなるとも言われており、少しずつですが、4月に向けて、確実に「気温の春」も追っかけてきているように感じられます。 俳句の世界では、近代・現代の俳人たちには『啓蟄』を詠んだ俳句がありますので、幾つか紹介しましょう。 「啓蟄の 蟻が早引く 地虫かな」 高浜虚子 「啓蟄の 風さむけれど 石は照り」 加藤秋邨 「啓蟄や われらは何を かく急ぐ」 中村汀女 最初の虚子の句は、春の暖かさに活動を始めた蟻が、同じく地上に出てきた地虫(コガネムシやカブトムシの幼虫)に驚いて、身を引く様子が目に浮かびます。 楸邨の句の方は、この季節らしい、まだまだ寒さを感じる風と日照が増した光の春らしい風景のコントラストが見事です。 最後の汀女の句は、虫の世界が活発になってくる頃合い、仲春には人々の世界も慌ただしくせわしなくなってくということに焦点を当てていてユニークです。 この時季は、日々において、恵みの雨、土の温もり、日の長さなど、春の訪れの恩恵に感謝し、日射しの眩しさや暖かさを全身で感じながら、植物の芽吹きに加えて、生き物の目覚めの時を迎えて、周囲に生命の気が蘇り、「初春」から「仲春」へと着実に季節が進んできていることを大いに満喫したいと思う次第です。 そして、これから先の季節、自然界において、多種多彩な生命が織り成す形で、徐々に活気に溢れた風景が周辺に広がっていくのを想い描きつつ、私たち人も、そのイメージに沿うが如く、ステップバイステップ、段階を追いながら、着実に社会や経済における活動を拡げていきましょう。 「覚醒」の時が到来する中、「情報洪水」に流されないようにして、物事を新たな視点で見つめ直すことで、新しい発想がイノベーションへと繋がる可能性もあります。 脳を活性化して柔軟な思考で考察し、試行錯誤しつつも軸をぶらさず、踏み込んだ行動を実践していくことで、サステナブルな世界へと連なる発展と進化を実現していきたいものです。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
by 72microseasons
| 2026-03-05 08:01
| 啓蟄(けいちつ)
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2026年 02月 28日
2月28日は、七十二候では6候、雨水の末候、『草木萌動(そうもく めばえいずる)』の始期です。 潤いが戻り、だんだんと春めいてくる中、足元や庭先にて、草木が芽吹いて萌え出す頃。 「初春」の後半にあたる節気、『雨水』の三候においては、初侯にて大地が早春の雨で潤い、次候にて大気も湿って霞がたなびきましたが、末候では、いよいよ草や木の出番となり、土中と空中の両方から水分を得て、湿潤を感じ取った植物たちが芽吹きの時を迎えます。 ![]() この時季に降る雨は、4候でも紹介した通り、花を咲かせるための養分を与えることから「養花雨(ようかう)」と呼ばれて、人々に歓迎されております。 同じような意味で、「甘雨」「慈雨」や「育花雨」と言われたり、3月も中下旬に入ると開花を促す「催花雨(さいかう)」と呼ばれるなど、恵みの雨を表す表現は豊富です。 今年は、2月25日は全国的に雨模様となり、朝から晩まで終日降りやまず、一気に大地は潤いを取り戻しまして、「養花雨」を実感する展開となりました。 七十二候には四季折々に応じて数々の植物が登場して季節の移ろいを知らせてくれますが、6候は「草木」という形ながら植物が主役の最初の候ということになります。 これまで、1候の「東風」や2候の「鶯」との関係で「梅の花」には触れましたが、実は「梅の花」自体は七十二候の表題にはなっておりません。 この後の66個の候の中で、実に30個に及ぶ候において、何らかの形で植物がテーマとして取り扱われて、四季の移ろいが表現されていきます。 今回の6候で一般的には芽生えが始まる「草木」ですが、今後は、8候の「桃」をはじめとして、春夏秋冬を彩る象徴として、個別の花や実が登場していいます。 春の柔らかい日差しを浴びて、土の上や木の先には、ほんのりと薄緑に色づいた芽が見られるようになり、冬の間に蓄えていた生命の息吹きが現れてきます。 「芽生え」の季節を迎え、地面からは「草の芽」が一斉に顔を出して、周辺の樹木では「木の芽」がほころんできております。 「草の芽」が一斉に萌え出てくる様子を「草萌え(くさもえ)」と言い、地面から芽生えるので「下萌え」とも言われます。 「萌」には、草木が芽を出すという意味に加えて、物事が起こり始める、きざす・きざしという意味もあります。 「木の芽(このめ)」とは、春になって芽吹く木々の芽のことですが、「木の芽」が出る時季のことを「木の芽時」と言います。 「木の芽時」の頃合いの雨は「木の芽雨」や「木の芽起こし」「木の芽萌やし」と呼ばれ、この頃の晴天のことは「木の芽晴れ」、更に天候の変化に応じて「木の芽風」「木の芽冷え」という言葉もあり、日本人特有の感性に基づく季節感を表現しております。 草木が芽吹く様子については、「萌え立つ」「萌え出づ」「萌え渡る」などという言い方があります。 「萌木(もえぎ)」といえば、若葉の芽吹き始めた木のことです。草木に命の胎動のようなものが甦ってくるのを感じさせる表現です。 伝統色としての「萌葱色(もえぎいろ)」は、萌え出る葱(ねぎ)の芽のような緑色のことで、緑と薄青の中間のような色です。 歌舞伎の舞台に使われる「定式幕(じょうしきまく)」の色は、黒・柿・萌葱色の組合せで出来ております。 「萌葱色」同様、平安時代から使われている伝統色には、「萌黄色(もえぎいろ)」があり、こちらも春先に新緑が萌え出るような緑色という意味ですが、冴えた黄緑色をしております。 『平家物語』巻九の一節には「敦盛の最期」という有名な話があります。人によっては中学校の国語で学んだ記憶があるかもしれません。 一の谷の戦いで源氏が勝利をおさめ、平家が海上へと逃げて行く際、源氏の武将、熊谷次郎直実が、磯の近くで立派な鎧を着た敵将を見つけ、「大将軍」ならば逃げるとは卑怯、引き返せと声をかけ、取り押さえて首を切ろうとしたところ、まだ16~7歳くらいの若武者であることに気づき、何とか助けたいと思いましたが、後ろから味方の軍勢が迫るのを見て、直実は気も動転しながら泣く泣く若武者の首を取ります。 その「大将軍」と呼ばれた若武者こそ、平敦盛であり、平清盛の弟・経盛の末子にして、前夜、敵も味方もその音色に感じ入った笛の名手なわけですが、敦盛の出で立ちは、練貫(ねりぬき)に鶴の刺繍をした直垂(ひたたれ)、鍬形(くわがた)の打った甲(かぶと)、黄金づくりの太刀などと合わせて、鎧本体は「萌黄縅(もえぎおどし)」の立派なものを着用しておりました。 「萌黄色」は、若者向けの色として好まれ、あの弓の名手、那須与一も着用しており、若武者の象徴のように使われていたようです。 また、伝統色では、早春に生えだして間もない若い芽のような淡い黄緑色は「若芽色(わかめいろ)」とも呼ばれます。「若苗色」や「若草色」よりも更に薄く淡く、綺麗な色合いです。 『万葉集』の巻八の冒頭には、天智天皇の第七皇子、志貴皇子(しきのみこ)が春の到来の懽(よろこび)を詠まれた有名な一首があります。 「石走る(いはばしる) 垂水(たるみ)の上の 早蕨(さわらび)の 萌え出づる春に なりにけるかも」 意味合いとしては、「岩の上を激しくほとばしる滝のほとりで、蕨が芽を出してくる、そんな春になったことだなあ」というところですが、1300年の時を超えて、日本らしい自然の情景が目に浮かぶと共に、春の訪れを歓び祝う心の高まりが伝わってくるようです。 古典俳諧の世界に目を転じると、江戸時代の三大俳人の一人、一茶には、足元や庭先に芽生えてきた草の青みに目を向けた俳句がいくつか見つかります。 「石畳 つぎ目つぎ目や 草青む」 小林一茶 「垣添や 猫の寝る程 草青む」 小林一茶 「まん丸に 草青みけり 堂の前」 小林一茶 また、芭蕉には、畑か庭に蒔いてあったのでしょうか、茄子の種が春雨の水気を浴びて芽生える姿を詠んだ句がありました。 「春雨や 二葉に萌ゆる 茄子種」 松尾芭蕉 俳句では、「草萌え」などのほか、「下萌(したもえ)」も季語になります。「下」は「枯草の下」を意味しており、「早春に、去年の枯草に隠れるように、草の芽が生えて萌え出している様子」を表しており、乾燥と寒さを耐えて漸く芽吹いた姿に、過ぎ行く冬と訪れる春のコントラストを感じます。 日本画の世界の方では、「草萌え」のテーマを直接に表現した絵はなかなか見当たりませんでしたが、近代日本絵画の大家、横山大観の描いた「早春」は、第11回日本美術院展に出品された絵であり、冬枯れのままの枝など、いまだ寒さが残る情景の中に、2侯で登場した「春告鳥」の「鴬」が佇み、一部には芽生えた草木も描かれており、春の訪れをこの時季らしい自然の風景の中で丁寧に精緻に表現しております。 いよいよ次の7候は、二十四節気では『啓蟄』。自然界の季節の連鎖は、草木から虫たちへと、目覚めの春の足取りを着実に繋いでいきます。 日々少しずつ長くなる陽の光を浴びて、草木が淡い色で芽吹くこの時季、先ずは周囲の彩りの変化に春の静かな足音を感じ取りながら、気持ちを和らげて暮らしていきましょう。 本格的に春が到来する中、世の中の方は、国際情勢については、米国の関税を巡る新たな展開から目が離せない状況であり、また大国の覇権主義の影響など今後の国際紛争の行方も気がかりであり、国内では、首相交代と衆院選を受けた与党の政策転換の行方に、期待が先行しつつも不安要素も指摘され、日本を取り巻く世界の環境変化に即応した外交ハンドリングや経済運営が求められる中、予断を許さない状態です。 先行きの読みにくい状況ではありますが、「初春」から「仲春」へと移りゆく中での海外・政治・経済・社会の先行きシナリオについて、プロアクティブに想像力を働かせ、様々なシナリオを念頭に置いて対処できるように、前向きな姿勢にて果敢に取り組み、将来に繋がる種蒔き・水撒きを具体的に考えて、力強く実践していきたいものです。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
by 72microseasons
| 2026-02-28 08:01
| 雨水(うすい)
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2026年 02月 23日
2月23日は、七十二候では5候、雨水の次候、『霞始靆(かすみ はじめてたなびく)』の始期です。 時に春霞がたなびき始め、遠くの山や景色がぼやけて見える頃。 ![]() 『雨水』の節気に入り、初候・4候では大地が潤いましたが、この次候・5候では、春の陽気に乾燥していた冬の空気が後退し、大気も湿り気を帯びていきます。 朝方や昼間、霧や靄(もや)が発生して、遠くの山や景色がほのかに現れては消え、山野の情景に春の趣が加わる時季です。 そして、末候・6候では、大地と大気の湿潤の流れを受けまして、植物の芽生えの時を迎えることになります。 『雨水』は初春の後半にあたり、水気を帯びた気候への移ろいが、生命の息吹きへの環境づくりをしており、春の到来が確かなものになってきます。 「霞」とは、大気中に細かな水滴や湿った微粒子が増えて、遠くがぼんやりとかすんで見える現象で、春に「霧」や「靄」が出て視界が悪くなる状態を表しています。 「靆(たなびく)」とは、霞や雲が薄く長く層をなして、横に引くような形で空に漂う様子を表しており、「棚引く」とも「棚曳く」とも書かれます。 「霞」と「霧」「靄」の関係ですが、一つには、「霞」の方は気象用語としては使われませんが、「霧」や「靄」は気象用語として使われています。 「霧」は「微小な浮遊水滴により視程が1km未満の状態」を指し、「靄」は「微小な浮遊水滴や湿った微粒子により視程が1km以上、10km未満となっている状態」を表すようです。 必ずしも「霞」と「霧」は別物ではないわけですが、俳句の世界では、「霞」は春の季語とされるのに対して、「霧」は秋の季語とされています。 態様の表現の仕方についても、「霞」はたなびくのに対して、「霧」や「靄」は立ちこめる・かかる、日本人特有の繊細な感覚が反映されて使い分けられているようです。 朝一番の「霞」の情景としては、古典の世界では、清少納言の『枕草子』の冒頭、「春はあけぼの」の一節が有名ですね。 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」 「春は明け方が良い。朝日が昇るにつれて、だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の辺りの空がほんのりと明るくなって、紫がかっている雲が細くたなびいている様子」、それが趣深くて良いとされており、まさに霞たなびく明け方の風景の中に、春らしさを表す美の姿を見い出しており、作者の繊細な優れた感性が感じ取れます。 一方、夜の「霞」のことは「朧(おぼろ)」と呼びます。春の夜に浮かぶ霞んだ月は「朧月(おぼろづき)」と呼びます。 朧月の夜が「朧月夜」ですが、童謡の『朧月夜』にうたわれた風景は、時を超えて日本の人の心に懐かしさを想い起こさせてくれます。 この歌の1番は、「菜の花畠に 入り日薄れ、見わたす山の端(は) 霞ふかし」から始まるように、先ず、夕日を覆う「霞」の情景を歌っており、2番にて、夕闇に包まれ、夜の「朧」の世界へと時間が流れる中、辺りの風景・風物を5つ挙げた上で、「さながら霞める 朧月夜」で締めくくり、すべてがぼんやりとかすんで見える春の月夜を見事に歌い上げております。 朝の太陽の光に赤く染まった朝焼けには「朝霞」、夕暮れ、夕日に美しく染まった夕焼けには「夕霞」「晩霞」という言い方もあります。 また、春には、霞が幾重にもなって濃淡を織りなしてたなびいている「八重霞」という風景も見られるようです。 「霞」には、実に様々な種類や呼び方がありまして、『万葉集』や『古今和歌集』の時代から、現代に至るまで、数多くの和歌に趣きを変えながら登場します。 古来、「霞の衣」や「霞衣」という表現もあり、霞のかかった景色を薄い衣に見立てて、春の情景を想像力豊かに表した和歌に詠み込まれています。 また、俳句の世界でも、江戸時代を代表する三大俳人、芭蕉・蕪村・一茶はもとより、正岡子規から現代の俳人に至るまで、「霞」を取り扱った句は数多挙げられるようです。 先ずは、芭蕉・蕪村・一茶の各々の「霞」を詠んだ俳句を紹介します。 「春なれや 名もなき山の 薄霞」 松尾芭蕉 「背のひくき 馬に乗る日の 霞かな」 与謝蕪村 「かすむ日や 夕山かげの 飴の笛」 小林一茶 我々にもわかりやすく、情景が浮かんで親しみやすいものを選びましたが、特に芭蕉の句の内容は、今の季節らしい情感を表しています。 「ああ、いよいよ春が来たのかなあ。こんな名もない普通の山々にも、薄っすらと霞がたなびいていることよ」と春の到来を歓迎する気持ちが伝わってきます。 更には、三大俳人が各々訪れた土地の風景の中に「朧」を詠み込んだ俳句も取り上げたいと思います。 「辛崎の 松は花より 朧にて」 松尾芭蕉 「辛崎の おぼろいくつぞ 与謝の海」 与謝蕪村 「すみだ川 くれぬうちより 朧也」 小林一茶 芭蕉が句を詠んだ「辛崎(唐崎)」は琵琶湖のほとり、近江八景の一つに数えられる土地であり、「辛崎の松」は桜の花より朧に霞んで見えると表現しております。 蕪村が訪れた「与謝の海」は有名な天橋立に隣する海のことですが、芭蕉の句を引用する形で、「与謝の海」にも「辛崎の松」と同じ風情がいくつもあると詠んでおります。 一茶の句は江戸で暮らした時分に詠んだものと思われますが、我々現代人としては、瀧廉太郎作曲の歌曲集『四季』の『花』の歌い出し、「春のうららの隅田川」を想い起こし、昔から春の「すみだ川」は、人々にとって季節を象徴する風景だったことに感銘を覚えます。 日本画でも「霞」は昔から数多く描かれてきており、絵の情景の季節感を表すために描かれるだけでなく、絵全体の装飾性を高めるのに効果的ですが、「すやり霞」と呼ばれる手法では、「雲」と同様に、実際の風景にあるなしにかかわらず描かれることもあり、画面を構成する要素として、いくつかの重要な役割を担っています。 やまと絵では、山水画なども含めて、「霞」は奥行きや遠近を表す技法として効果的であり、山の高さや傾斜などを際立たせる演出にも描かれています。 狩野永徳の「洛中洛外図屛風」などは、画面の随所に霞が描かれて視覚的効果の高い構成となっており、その代表的なものと言えるでしょう。 また、古来、絵巻物などでは、横に長く展開する一連の絵の合間に配置されることにより、時間の経過や場面の転換を示していることが多いようです。 例えば、「源氏物語絵巻」や「源氏物語絵鑑」などでも、物語の流れを追って鑑賞していく際、霞が自然にそのような役割を果たしています。 朝・昼・夕・夜と変幻する春霞の移ろう情景は、春の風物詩、その趣を想い描きながら、春の訪れを穏やかに迎えていきたいものです。 今年は「春一番」は北陸地方で18日に吹いたとの発表がありました。全国で今シーズン初めてとなります。 昨年は3日に北陸地方で吹いたということでしたので、15日遅くなったことになります。 とはいえ、気温は日替わりのように、上昇して日中暖かい日もあれば、また低下して冷たい風に見舞われる日もあり、「三寒四温」とは少しリズムが異なるものの、日々の寒暖の差を織り交ぜながら、少しずつ季節が進んでいるようです。 世の中の方も、今年に入ってからも様々な事象があって変転が激しいようですが、時に視界がぼんやりとして晴れない状況の中においても、環境の変化に果敢に向き合い、しっかりとした軸は保ちながら、肩の力を抜いて、変幻自在に柔軟に対応して、心しなやかに暮らしていきたいと思う次第です。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
by 72microseasons
| 2026-02-23 08:01
| 雨水(うすい)
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2026年 02月 19日
2月19日は、二十四節気は2番目の節気、『雨水(うすい)』、天から舞い降りる雪が雨へと変わり、氷が水になり、雪解けも始まる頃。 江戸時代に出版された『暦便覧』には、「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されています。 冬の間は凍てついて、眠りについていたような大地に、漸く寒さもゆるんで、しっとりとした春の雨が降り注ぎます。 2月も半ばになると、冬型の気圧配置が緩むことが多くなり、低気圧の影響を受けて雨が降る機会が増えていきます。 実際のところは、北国では積雪が続く時期でもありますが、寒さが峠を越えて、日に日に暖かさを感じる機会が多くなります。 そうした中で、『雨水』は、昔から農耕の準備を始める時期の目安とされてきました。 ![]() 七十二候では4候、雨水の初候、『土脉潤起(つちのしょう うるおいおこる)』の始期です。 早春の雨で大地が潤って湿り気を含み、まるで脈を打つように土が緩んでくる頃。 『雨水』の七十二候では、節気自体の主題が全体を貫いているようであり、3つの候が連なって、自然界に春らしさが増していく展開を表しております。 雪から雨へと「気象」や「天候」の移り変わりを受けて、大地と大気が共にうるおい、全ての生命を支える植物が萌え始めて、季節の進展を表します。 即ち、春先の恵みの雨を受けて、この初候の4候にて、大地がしっとりと「潤い」を取り戻し、次候の5候では、大気の方も湿り気を帯びて「霞」が登場し、末候の6候では、湿潤を感じ取った「草木」が芽吹き始めて、早春ならではの風景が周囲に広がっていくのを実感するような展開となっています。 「脉」は「脈」の異体字です。日射しを受けてぬかるんだ道などで、土の匂いもほのかに漂ってきそうな情景です。 この時季には、「土匂ふ」「春の土」「土恋し」などの季語が使われ、大地に春の息吹きを感じ、春到来の喜びを表します。 近現代の俳句の世界では、例えば、明治・大正・昭和を生きて活躍した俳人・小説家の高浜虚子には、「春の土」を詠んだ次の句があります。 「鉛筆を 落せば立ちぬ 春の土」 高浜虚子 ふとしたことで鉛筆を手から落としてしまったところ、土にすっと刺さって立ったのを発見して、土に潤いが戻ったことに春が到来したのを実感している情景が伝わってきます。 実は、本元である中国の七十二候・宣明暦では、『雨水』の初侯は、『獺祭魚(だっさいぎょ/たつ うおをまうる)』となっており、春に動物の動きが活発になる情景の一つですが、「獺(かわうそ)」が獲らえた獲物の魚を岸に並べる習性を見て、まるで神様や先祖に対して供物を並べて祀るようであると見立てた内容です。 この獺の祭を「獺祭」と呼び、日本酒の銘柄にもなっておりますが、転じて物事を調べるのに際して多くの参考文献を周囲に並べることも「獺祭」といいます。 正岡子規は自らを「獺祭書屋主人」と称したため、子規の命日である9月19日は「獺祭忌」と呼ばれております。 古典俳諧の世界では、江戸時代の三大俳人のひとり、俳聖と呼ばれた松尾芭蕉には、次の句が残されております。 「獺(かわうそ)の 祭見て来よ 瀬田の奥」 松尾芭蕉 大津の瀬田に行ったら、瀬田川の奥は琵琶湖であり、そこに棲む獺が今頃は獺祭魚という祭をやっているので是非ご覧なさい、という意味であり、ユーモアを交えた言葉を添えて、人を送り出したときに詠んだ句と言われております。 日本絵画の世界では、大正・昭和に活躍した川端龍子が戦後に描いた『獺祭』があり、現在は東京都大田区の龍子記念館が所蔵しております。 袈裟を着た僧正の恰好をした獺が真ん中に描かれ、目の前には獲物の魚がいくつか並べられており、とてもユーモラスな絵であり印象的です。 大地がしっとりと潤い始めると、柔らかな日射しにも誘われ、土の下から様々な草花が芽を出し始め、木々の梢も芽吹きます。 地中などで眠っていた動物たちも目覚めて、まさに生命の覚醒の時を迎えて活気づいていきます。 「三寒四温」という言葉も、この時期くらいから、より頻繁に使われるようになりますが、ご存知の通り、寒い日が三日ほど続いた後に、暖かい日が四日ほど続くということで、7日間周期で寒暖が繰り返される現象です。 実は、もともと朝鮮半島や中国北東部のことわざで、シベリア高気圧の影響を受ける冬の気候を表す意味で使われておりました。 日本に伝来して、日本の気候は太平洋高気圧の影響も受けるため、冬には現れにくいことから、日本では春先に用いられ、「三寒四温」を幾度か繰り返しながら、だんだんと暖かくなり、季節は春に向かうというような使われ方が定着しました。 さて、雛人形をいつから飾るかについては、地域によって風習も違いますが、一般的には、『立春』から2月中旬にかけて、できれば日射しがあって穏やかなお日柄の佳き日が良いとされております。そして、『雨水』の始まり、この日に雛人形を飾ると良縁に恵まれるとも言われているようです。 背景は諸説あるようですが、命が芽吹く季節を迎え、生命の源である水の神様にあやかるということがあるようです。 「春一番」は、冬から春への移行期に初めて吹く暖かい南よりの強い風で、『立春』から『春分』までとされていますが、ちょうどこの頃から吹くことが多いようです。 その風圧の凄さは、おだやかな情景とは趣が異なりますが、春に向けての象徴的な風物詩の一つです。 一方、北海道においては、『立春』以降に初めて降る、雪がまじらない雨のことを「雨一番」と呼ぶそうです。 2月下旬に北海道南部から始まり、3月には全道が「雨一番」の季節を迎えるようで、こちらも雨水らしい春の訪れを象徴する表現です。 早春に降り注ぐ雨水の恵みを受けて、時に柔らかな日射しの下で、大地の匂いや息づかいに春の気配を感じられる頃合いとなりました。 私たちも、本格的な春の到来に向けて、暖かい季節の新たな活動にも想いを馳せながら、心と体をしっかりと目覚めさせていきたいと思う次第です。 『雨水』の頃から降って、植物の芽吹きを促す役割を果たす雨のことを「木の芽起こしの雨」と呼ぶそうです。 そして、春の雨は、『啓蟄』『春分』と節気が進む中で、草木や花に養分を与えて育成を助けるので、「養花雨(ようかう)」とか「育花雨(いくかう)」と言われるようになります。 また、これからの季節、『啓蟄』の「桃」や『春分』の「桜」をはじめ、様々な花を催すが如く、開花を促すように降る雨は、「催花雨(さいかう)」と呼ばれるに至ります。 自然界に潤いを感じつつ、人としても、肌や体内の潤いに加えて、心の潤いも保ちながら、心地よく潤いに満ちた暮らしや生活にしていきましょう。 そして、花と雨との関係性も意識しながら、心身にも日々の営みにも、みずみずしさを感じられるような環境づくりを心がけて、公私の両面において、種蒔き・水撒きとなる行動を展開し、大切に思っていることを育んでいき、しっかりと素敵な花を開かせていきたいものです。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
by 72microseasons
| 2026-02-19 08:01
| 雨水(うすい)
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2026年 02月 14日
2月14日は、七十二候では3候、立春の末候、『魚上氷(うお こおりをいずる)』の始期です。 春の兆しに凍っていた湖や川の表面が解け出して、割れた氷の間から、魚が飛び跳ねる頃。 ![]() 暦のはじめ、『立春』の節気、一年最初の3候において、東からの暖かい風が吹き始める中、春の訪れを最初に知らせてくれる植物や生き物が出揃いました。 初候では『春告草』の「梅」、次候では『春告鳥』の「鶯」、そして、今回の末候では『春告魚(はるつげうお)』の登場です。 七十二候の主題は、魚たちが冬の眠りから目覚め、水の中で活発に動きはじめ、溶けて薄くなった氷の割れ目から跳ね上がる様子も時には見られる頃合いを表しており、日本各地において春を告げる魚、即ち『春告魚』を連想させるテーマです。『春告魚』というのは、実は必ずしも一種類の魚には限りません。 まず、北日本では、3~5月に産卵のために大挙して北海道の西岸に近づくことで有名だった「ニシン(鰊)」が代表的ですが、漁獲量が昔より減ってしまいました。近年は少しずつ回復傾向にありまして、「元祖 春告魚」とも言われる存在感を持っております。 近時は、関東や東海を中心に、やはり産卵のために浅瀬にやって来て春先が旬とされる「メバル(眼張)」が『春告魚』と呼ばれています。 また関西では、瀬戸内海に春になるとやってくる「サワラ(鰆)」が旬であり、漢字からして魚偏に春でもあり、『春告魚』とされています。 瀬戸内海の魚では、他にも兵庫の「イカナゴ(玉筋魚)」も挙げられているように、各地で多様な魚の名前が列挙されています。 渓流釣りが各地で2月から解禁されることもあり、「ヤマメ(山女魚)」や「アマゴ(雨子)」などの渓流魚を指す場合もあります。 地域の人々の生活に応じて、春を代表する固有の魚があるということであり、いろいろな『春告魚』が人々に春の訪れを知らせてくれております。 海の魚に川魚、日本近海及び日本国内には、本当に様々な魚が生息しており、日本人の生活や季節感とも深く結びついていることを改めて感じます。 冬の間、魚たちは氷の下に閉じ込められて、湖・川・池・海などの深場にうずくまって代謝活動を極限まで落としています。 鯉や鮒や泥鰌(どじょう)は、冬眠状態になるとも言われ、ひたすらじっと、微かな春の訪れ、目覚めの時季を待ち続けます。 春先になって薄く張って解け残った氷のことを「薄氷(うすらい)」と呼びます。季語でもあります。 「薄氷」の下、温かくなった水の中で、じっとしていた魚たちが動き出し、ゆらゆらと泳ぐ姿が見え始めます。 俳句の世界からは、今回は「薄氷」と「白魚」の組合せで詠んだ句を、取り上げてみます。 「白魚(しらうお)」は、春の訪れを告げる小魚のことで、近海に棲む魚であり、春先に産卵のために川を上がってきます。 半透明ですが、煮たり蒸したりすると真っ白になるので、白魚というようです。 「しらうをの 雫や春の 薄氷」 松岡青蘿 「うすらひに 紛れて初の 白魚は」 大野林火 松岡青蘿(まつおか せいら)は、江戸時代の俳人であり、大野林火(おおのりんか)は昭和の俳人であり、二人の俳人の暮らした時代は全く異なりますが、このようなコントラストも時には面白いかと思います。 日本絵画の世界では、『春告魚』ということではありませんが、様々な魚たちを描いた名画として、近世日本の画家、伊藤若冲の「群魚図」と「諸魚図」を紹介します。 両方とも若冲が制作した『動植綵絵(どうしょくさいえ)』という30幅からなる動植物を描いた彩色画の一部であり、国宝として、宮内庁の三の丸尚蔵館に所蔵されております。 いずれの画も色を豊かに使い、動植物の細部までリアルに表現しており、「群魚図」には海の中を泳ぐ16種類の魚が描かれ、画面中央の大きな蛸には子どもの蛸が脚を絡ませており、「諸魚図」には18種類の魚が登場し、中央には鯛が色鮮やかに描かれ、両方の絵において、全ての魚が左下方向に向いて勢いをもって泳いでいる姿で、概ね真横から描いております。 明治5年の京都博覧会のチラシでは「魚尽くし」と命名されており、さながら魚の一覧図といったイメージであり、他には類を見ない独特な構図で、若冲の精緻な描写の筆力に惹きつけられます。 当時の日本でなじみのある代表的な魚が並んでいるようであり、『春告魚』としては、「ニシン(鰊)」は見当たりませんが、「サワラ(鰆)」は確認できるとのことです。 これから春が本格化する中、各地の『春告魚』を運良くいただく機会があれば、旬ならではの味を充分に楽しみたいものです。 魚には、今が旬の「サケ(鮭)」「サバ(鯖)」「タラ(鱈)」などに多く含まれる、免疫力を高める良質なたんぱく質をはじめ、ビタミンやDHA・EPAなど、多くの栄養素が含まれています。勿論、免疫力アップには、バランスの良い食事に加えて、運動・睡眠も大切な要素です。 個々人として「健康リテラシー」「ヘルスリテラシー」の向上に取り組み、企業としては「健康経営」「ウェルネス経営」の推進も意識しながら、食事・運動・睡眠の三大テーマが両立した総合的に健康な生活を心掛けて、この機会に「健康寿命」もしっかり延ばしていけるように取り組んでいきたいものです。 立春を迎えまして、「春告草」の梅(初候)、「春告鳥」の鶯(次候)に続いて、「春告魚」(末候)と春を告げる使者が出揃いました。 とは言っても、今年も時に寒波が到来して大雪が降ったり冷え込みが厳しくなったりと、まだまだ油断はできない季節ですが、『立春』以降、寒が明けてからの寒さは「余寒」「残寒」「春寒」などというようで、寒さの峠を既に越えて、春への期待が膨らんでいきます。 いよいよ待ちに待った春近し。 生活に余裕を持って、周りの小さな変化に気を配りながら、間近に迫ってきている春を五感でしっかりと捉えていきましょう。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
by 72microseasons
| 2026-02-14 08:01
| 立春(りっしゅん)
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