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2023年 10月 29日
10月29日は、七十二候では53候、霜降の次候、『霎時施(こさめ ときどきふる)』の始期です。 時雨がぱらぱらと一時的に降ったりやんだりする頃。秋が深まり、更に気温が下がり、落ち葉も目につくようになる時季です。 「霎」という漢字は、訓読みでは「こさめ(小雨)」「しば(し)」、音読みでは「ショウ」「ソウ」と読まれ、ここでいう「こさめ」は「時雨(しぐれ)」の意味合いです。 「時雨」は、主に「晩秋」から「初冬」にかけて降る通り雨であり、思いがけず降ってきては直ぐにやんでしまうような雨を指しています。 因みに、「霎々(しょうしょう)」とは通り雨がぱらぱらと降る音、または風が颯々(さつさつ)と吹く音を表します。 また、「しばし」という読みは、「またたく間」「ほんの少しの間」という意味であり、「霎時(しょうじ)」と言えばちょっとの間・短い時間を表します。 『霜降』の節気は、初侯は二十四節気と同じテーマを取り扱い、朝晩の冷え込みが厳しくなる中、初霜の時季が到来したことを知らせています。 この次候は、段々と肌寒さが増してくる中で、時折り降ってくる「霎(こさめ)」、即ち「時雨」を取り上げて、「晩秋」の深まりを表しているようです。 七十二候で、「雨」がテーマとなるのは、8月初旬、暦の上では夏の終わり、『大暑』の末候『大雨時行(たいうときどきふる)以来です。 秋に入って、「初秋」の「霧」、「仲秋」の「露」、「晩秋」の「霜」と、空気中の水蒸気が季節の移ろいの中で変化してきました。この「時雨」が降る中で、末候の彩りの世界を迎えていきます。 時雨は、9月から10月にかけてしとしとと降り続く、いわゆる秋の長雨とは異なり、晴れていたかと思うと、さーっと降ってきて、また間もなく上がってしまうような断続的な雨です。 「男心と秋の空」や「女心と秋の空」と象徴的に言われるように、「秋の空」は、降り始めたと思っていると、いつの間にかやんでおり、晴れ間が見えたと感じていると、また降り始めるというように、移り気で気まぐれな空模様のことを指しています。 また、時雨の降りそうな空模様のことを「時雨心地(しぐれごごち)」といい、ふいに涙の出そうになる気持ちのことを表現するのにもよく使われています。 他方、「村時雨」「叢時雨」は、いずれも「むらしぐれ」と読み、「村」「叢」には集まるという意味が含まれていることから、ひとしきり強く降る時雨のことを指します。 更に、時雨には、降る時間帯に応じて「朝時雨」や「夕時雨」「小夜時雨」という言い方もあるようです。 「時雨」は「初冬」の季語として使われます。また、10月の和風の月名は普通には「神無月」ですが、別名としては「時雨月」も使われています。 今回も古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人の「時雨」を詠んだ俳句を幾つか選んで紹介します。 各人各様に、冒頭の句は、猿、馬、鷺と鶴など、時雨の中に佇む動物の一瞬の風景を見事に詠んでおり、各々の情景が眼前に広がってきます。 松尾芭蕉の忌日は、旧暦十月十二日であり、時雨の時節にこの世を去り、また、芭蕉が時雨を好んで様々な句を遺していることから、「時雨忌」と呼ばれています。 芭蕉の弟子たちに加えて、蕪村や一茶の句にも、「古人」や「芭蕉翁」に想いを馳せて偲んで詠んだ句を見つけることができました。 「初時雨 猿も小蓑(こみの)を 欲しげなり」 松尾芭蕉 「旅人と 我が名呼ばれむ 初時雨」 松尾芭蕉 「人々を しぐれよ宿は 寒くとも」 松尾芭蕉 「鷺ぬれて 鶴に日のさす しぐれ哉」 与謝蕪村 「化けさうな 傘かす寺の しぐれかな」 与謝蕪村 「しぐるるや 我も古人の 夜に似たる」 与謝蕪村 「夕時雨 馬も古郷を 向いて嘶(な)く」 小林一茶 「座敷から 湯に飛び入るや 初時雨」 小林一茶 「はせを(芭蕉)翁の 像と二人や はつ時雨」 小林一茶 時雨は、実際には雨ではないものの、しきりに降ってくるもの、定めもなく不意に現れては消えるものを表す表現としても使われます。 夏の終わりに蝉が命を限りに鳴きたてる様を表した「蝉時雨」は俳句でも馴染みがあって有名ですが、秋に木の葉が盛んに舞い落ちてくる様には『木の葉時雨(このはしぐれ)』という美しい表現が似合います。 さて、「初時雨」は、先程の俳句にも子季語として登場しましたが、その年の秋に初めて降る時雨であり、人々と野山の動植物の両方に冬支度を思い起こさせる合図であると言われております。 秋も深まるこの頃は、ひと雨ごとに空気が冷えて気温が下がり、日ごとに肌寒さが増していき、だんだんと冬へと近づいてまいります。 「一雨一度(ひとあめいちど)」と言う表現が使われるように、雨が降る度ごとに気温が1度ずつ下がっていくと言われている時季でもあります。 雨が上がった後は高気圧に覆われて秋晴れとなり、大陸から冷たい空気が流れこむため、雨の後は少しずつ気温が下がりということのようです。 そして、「晩秋」のこの時季、時雨が降る度ごとに、紅葉はだんだんと色濃く染められていき、彩りが深まっていきます。 「八入(やしお)の雨」という呼び方もあり、これは、染物を染色する際、染料を一度だけ浸すことを「一入(ひとしお)」といい、何度も浸して濃く染めあげることを「八入(やしお)」というところから来ています。 古来から和歌の世界でも、「時雨」と「紅葉」の関係性を意識した歌が多く詠まれてきましたが、『万葉集』の「巻八」には、大伴池主の歌があります。 「神無月 時雨に逢へる 黄葉(もみじば)の 吹かば散りなむ 風のまにまに」 大伴池主 意味としては、「神無月(十月)の時雨に出会って色づいたもみじの葉は、風が吹いたら吹かれるがままに、散りゆくことでしょう」という感じです。 天平十年(西暦738年)、橘奈良麻呂(左大臣諸兄の子)の邸宅にて宴が行われ、日頃から親しくしていた人々が11名集まって黄葉を詠ったものの一つです。 時雨の度に美しく色づいていく紅葉、一番鮮やかな秋の粧いのシーズンはすぐ近くまで来ていますが、季節が確実に冬へと向かって進んで行くのも静かに感じとり、備えていきたいと思う次第です。 そして11月に入って最初の七十二候、5日後の54候は、いよいよ秋の移ろいの物語を伝えてきた18の候の最後を飾って、『楓蔦黄(もみじつたきばむ)』、深まる秋の最終章が到来します。 日本列島の「紅葉前線」は、既に北は北海道から始まり、徐々に南下していくと共に、本州も高山地帯の山頂付近から始まっており、標高を段々と下げて平野部へと降りてきます。 今年も、予め計画を立てて遠出をして、紅葉の名所を巡って歴史や文化に触れるのも良し、お馴染みの近場に赴いて、自分だけのとっておきの毎年の風景を楽しむも良しかと思います。 是非、早めに紅葉情報をチェックしながら、今年ならではの素敵な紅葉狩りの計画を立ててみることをおすすめします。 そして、深まる秋の風情を充分に満喫しながら、そろそろ冬支度にも少しずつ気を配っていけるように、この先の予定も確認しつつ、心がけていきましょう。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
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| 2023-10-29 08:01
| 霜降(そうこう)
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2023年 10月 24日
10月24日は、二十四節気では『霜降(そうこう)』、秋の節気も『寒露』に続いて最後となり、“水の化身”も「露」から「霜」へと移ろいます。 朝晩の冷え込みが厳しくなって、初霜の知らせが聞かれるようになり、秋も最終章、クライマックスを迎えます。 七十二候では52候、霜降の初候、『霜始降花(しもはじめてふる)』の始期です。 秋が一段と深まって、山里などで草木や地面に霜が初めて降りる頃。 江戸時代に出版された『暦便覧』には、「露が陰気に結ばれて霜となりて降りるゆえなり」と記されています。 昔の人は、冷えた早朝に外に出て、霜であたり一面が真っ白になっている光景を目の当たりにして、霜は雨や雪と同じように空から降ってくると考え、「霜が降る」と表現しました。 『霜降』の節気は、9月上旬の『白露』の初候『草露白』に続いて、初侯は二十四節気とテーマが完全に一致しております。 このようにテーマが一致するのは、『啓蟄』の初候『蟄虫啓戸』、『白露』の初侯『草露白』と本候の3つだけです。 『霜降』は、しんしんとした冷え込みの中で、次候は「霎(こさめ」、小雨というより肌寒さを感じる時雨(しぐれ)が降り、一雨ごとに気温が下がります。 末候では、遂に「楓(かえで)」や「蔦(つた)」が色づいて、野山は赤や黄に彩られて、いよいよ紅葉狩りの季節到来で、「晩秋」を締めくくります。 霜は、実際は空から降ってくるわけではなく、地表の表面が放射冷却によって急激に冷える際、空気中の水蒸気が一気に冷えされ、昇華して出来た氷の結晶がものに付着したものです。 気温が3~4℃を下回ると、地表の表面の温度は氷点下まで冷やされるので、空気中の水蒸気が植物の表面などに付着して、霜が出来ます。 昔の人は、二十四節気や七十二候の「晩秋」に「霜」を織り込んで、秋から冬への季節の変わり目を強く意識して警戒していたようです。 霜は、「霜害」と呼ばれるように、農作物に被害をもたらすので、農家にとっては有り難くない存在だからです。 特に秋早くに降りる霜、「早霜」が降りると、農作物に大きな被害を与えることが多いようです。 強い霜が植物に纏わりつくと、葉の表面の組織は壊されて、葉は枯れてしまい、野菜の収穫に大きな影響を与えます。 家庭のガーデニング、草花の栽培においても、油断していると一気に枯れて後悔することにもなり、実は霜は大敵です。 気象庁は、早霜や晩霜によって、農作物被害が発生するおそれのある際、「霜注意報」を発表します。 また、日本気象協会では、未明から明け方にかけて「霜が降りる」可能性を数値で表した指数、「霜指数」を発表しております。 霜が降りはじめる時季になったということは、植物への影響だけではなく、冬への季節の変わり目が到来しつつあることも告げております。 だんだんと冬の足音が近づいてきて、日が短くなってきたことも実感するこの時季、冬支度にも少しずつ気を配っていきたいものです。 前回の七十二候は『蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)』でしたが、『小倉百人一首』には、「きりぎりす」と「霜」の両方を詠み込んだ秋の歌があります。 後京極摂政前太政大臣の藤原良経が詠んだ『新古今和歌集』に出てくる次の歌です。 「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」 現代語に訳しますと、「こおろぎが鳴いている、こんな霜の降る寒い夜、むしろの上に衣の片袖を自分で敷いて、私はひとり寂しく寝るのだろうか」という意味です。 平安時代は女性と男性がともに寝る時はお互いの着物の袖を枕にして敷いたそうで、自分の袖を敷いて寝る独り寝のわびしさが晩秋の寂しさに重なって伝わってきます。 作者はこの歌を詠む直前に妻に先立たれてしまったようで、800年以上の時を越えて情感が鮮やかに蘇る『百人一首』の歌の凄さを感じます。 俳句の世界では、「霜」は「初霜」も含めて冬の季語であり、現代俳句では「霜降」を秋の季語として詠んだ句が幾つかあります。 江戸時代の三大俳人の俳句の中では、次の芭蕉の句は、珍しく秋の「霜」の情景を詠んでおり、「晩秋」の一場面を表しています。 「秋風や 桐に動きて 蔦の霜」 松尾芭蕉 意味合いとしては、「晩秋の風に吹かれて、既に葉の落ちた桐の木が揺れ動いている。その桐の木には、蔦(つた)の葉が巻きついていて、葉には霜が降りているが、桐の木と一緒に秋風にサワサワと揺れ動きながら、白く煌めいているよ」というところでしょうか。 蕪村や一茶に関しては、秋ではありませんが、「御火焚(おほたき)」という、京都伏見稲荷大社をはじめとした社寺にて、11月中に行われる新穀感謝の祭事や「初霜」を季語にした、「初冬」らしい句をいくつかご紹介します。 「御火焚や 霜うつくしき 京の町」 与謝蕪村 「初霜や わずらふ鶴を 遠く見る] 与謝蕪村 「はつ霜の 草へもちよいと 御酒哉」 小林一茶 今年は、芭蕉の冬の霜の情景を詠んだ句も加えます。「案山子の袖」を借りるという表現が、先程の『百人一首』の和歌に呼応するようです。 「借りて寝む 案山子(かかし)の袖や 夜半の霜」 松尾芭蕉 霜は農作物や草花にとっては厄介者であり、冬の到来や秋の終わりの寂しさを表わすものである一方、朝方の霜が降りた光景には風情も感じられます。 朝早く、うっすらと氷の結晶を纏った草木の表面が、朝日を浴びてきらきらと輝いている風景は本当にきれいで美しいものです。 風もなく、地表付近が氷点下に達した静かな朝、「霜降のある情景」を前にすると、自然と頭も冴えて、背筋も伸びて、気持ちも何となく凛として一日を迎えられます。 クライマックスを迎えつつある秋を充分に味わいながら、今年もあと2ヵ月有余、やり残していることや年内に取り組みたいことを点検し、有意義に時を使いたいと思う次第です。 今年は、過去3年の異例な状況から脱却し、秋の行楽シーズンを迎えて、国内の観光客の動きに加えて、海外から日本を訪れる人々も確実に増えて、全国の名所は活気に溢れています。 この一年を早めに振り返りつつ、年頭に掲げた『目標』や『抱負』などの達成・実現に向けて、前向きな気持ちで残り2ヵ月の活動に力を注いで、来年以降の将来への展開に備えていきたいものです。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
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| 2023-10-24 08:01
| 霜降(そうこう)
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2023年 10月 19日
10月19日は、七十二候では51候、寒露の末候、『蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)』の始期です。 秋の夜長に、こおろぎなどの虫の鳴き声が、人家の戸口で聞こえる頃。 秋の二十四節気には、『白露』と『寒露』があります。『白露』の節気は9月で「仲秋」、草花や木に朝露が宿りはじめ、白くきらきら光る情景でしたが、この『寒露』の節気は10月で「晩秋」、冷たい露が草木にしっかりと降りてきて、辺り一面がひんやりとして澄んだ空気に包まれ、秋の深まりを肌身で感じるような情景です。 『寒露』の初候は「雁」が隊列を組んで日本に飛来し、次候に「菊」の花が秋を象徴する百花の王として華やぎのある世界を創り、晩秋としての「動」と「静」のある風景が現れます。 そして、この末候は、戸口に迫る「蟋蟀(きりぎりす)」が主題となり、周囲に広がる『寒露』らしい情景と相まって、次の節気の『霜降』へと続く晩秋ストーリーの場面が進んでいくようです。 「蟋蟀」は難読漢字の一つであり、日本では、音読みで「しっしゅつ」と読まれることもありますが、一般には「きりぎりす」または「こおろぎ」と読まれております。 七十二候では「きりぎりす」と読まれておりますが、だからと言って、必ずしも今の「きりぎりす」を指していたということではないようです。 古代においては、「きりぎりす」は「こおろぎ」の古名であって、今の「こおろぎ」のことを指していたという考え方が有力だからです。 古代では、今の「きりぎりす」は、鳴き声が「ギース・チョン」と機織りの音に似ていることから、「機織り虫(はたおりむし)」と呼ばれていました。 因みに、「きりぎりす」には、「蟋蟀」とは別に「螽斯」という漢字もあり、こちらは「きりぎりす」としか読まないようです。 江戸中期に、国学者の賀茂真淵や朱子学者の新井白石により、古代における「きりぎりす」が江戸時代の「こおろぎ」であるとされ、次第に定着していったようです。 一方、中世以前は、「こおろぎ」は、蝉をも含めてあらゆる鳴く虫を指していたとの指摘もあり、「きりぎりす」や「こおろぎ」は、昔は秋の鳴く虫たちの総称であったと理解した方が良いという考え方も成り立ちます。 実態として、今の「きりぎりす」は、初夏から成虫になり、鳴き始めるのは夏頃であり、晩秋には卵を産んで死を迎えるので、この時季の七十二候に登場するのはやや季節が合いませんし、「きりぎりす」が鳴くのは基本的に昼間であり、日照量が豊富な快晴の頃合いに活発になることも踏まえ、七十二候としては、秋の夜を象徴して鳴く「こおろぎ」とした方がしっくりと来ます。 “野にいた蟋蟀が秋が深まるにつれて人家に近づいて戸口で鳴くようになる”という情景は、実は、中国最古の詩集『詩経』に由来するそうです。 『詩経』の「国風」のうち、暦に従って農民のあるべき暮らしを歌った漢詩「豳風(ひんぷう)」の「七月」の一節に、それに関する描写があります。 夏から冬にかけて、七月には野原にいた蟋蟀(こおろぎ)が、八月には家の軒下、九月には家の戸口あたりに入ってきて、十月には寝台の下にまでやって来るという内容です。 蟋蟀に象徴されているのは、忍び寄って来る厳しい冬であり、晩秋になったこの時季から、冬支度をすることの大切さを説いているとも言われております。 日本でも12世紀後半に編纂された七番目の勅撰和歌集、『千載和歌集』の中に、平安時代、花山法皇(天皇)の詠んだ次の和歌がありますが、これは『詩経』を踏まえた表現です。 「秋深く なりにけらしな きりぎりす 床のあたりに 声聞こゆなり」 花山院 『秋も随分と深くなってきたなぁ、こおろぎの声が床のあたりから聞こえてくるよ』、冬が少し近くに迫ってきていることを分りやすく歌っています。 「こおろぎ」「きりぎりす」の仲間は、2枚の前翅(ぜんし)をこすり合わせて発音をしており、つまり鳴き声を出しています。 「こおろぎ」は、上側の右前翅の裏(ギザギザのやすり状)で下側の左前翅の表(まさつ器)を擦り合わせますが、「きりぎりす」は2枚の前翅の合わせ方が左右逆で、左前翅が上側だそうです。 文部省唱歌の『虫のこえ』に出てくる「こおろぎ」の「きりきり」は、カマドコオロギのものとされておりますが、日本にいる「こおろぎ」も、いろいろと種類があり、鳴き声も様々です。 エンマコオロギの鳴き声は「コロコロコロコロ」とか「キリリリリー」、ミツカドコオロギは「リリリリリリ、リィィィィ」というような感じで表現されます。 七十二候の「こおろぎ」は、鈴のような音色を響かせるツヅレサセコオロギという見方もあり、この場合は「リィリィリィリィ」と表現されることが多いようです。 ツヅレサセコオロギは「綴れ刺せ蟋蟀」ということで、昔の人には鳴き声が「肩刺せ、裾刺せ、綴れ刺せ」と聞こえたとのことです。 「綴れ」は破れた部分を継ぎはぎした粗末な服で、「刺せ」は縫い物の意味で、「肩や裾や綴れを今のうちに繕っておいて」と聞いて、冬に向かって衣類の手入れをするよう、虫たちが促しているように思ったことに由来します。 そして、これから晩秋が更に深まるにつれて、虫たちも次第に弱まっていき、声もか細くなっていきます。 人々は、古来、時代を越えて、その寂寥感をも数多くの和歌に詠み込んでまいりました。 『新古今和歌集』には、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、武士から出家して僧侶・歌人として生きた、西行法師の以下の歌があります。 「きりぎりす 夜寒に 秋のなるままに 弱るか声の 遠ざかりゆく」 西行 『蟋蟀(こおろぎ)よ、秋が深まり冬を前に、夜の寒さがひとしお感じられるにつれて弱っていくのか、鳴き声がしだいに遠ざかってゆくのだなあ』 虫を通して秋の移ろいを見事に表現しており、この歌も、眼前に情景が浮かんでくるようで、西行法師の実感や想いがそのまま伝わってくるようです。 江戸時代に入り、古典俳諧の世界では、毎回取り上げている三大俳人は、「きりぎりす」や「こおろぎ」を次のような句に詠んでおります。 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」 松尾芭蕉 「こほろぎや 相如が絃の きるる時」 与謝蕪村 「つづれさせ させとて虫が 叱るなり」 小林一茶 芭蕉の句は、加賀(現石川県)の小松にて太田神社に詣でて、斎藤別当実盛の遺品である兜を見て詠んだものであり、兜の下で鳴くこおろぎの姿に、源平の戦いで奮戦して討ち死にした実盛の霊を見るように、遠い昔に想いを馳せた気持ちが伝わってきます。 蕪村の句については、「相如が絃」とは、中国の前漢の時代、賦の名人として知られ、武帝に仕えた司馬相如の逸話を引いており、司馬相如が、妻となる美貌の人、卓文君に想いを寄せて弾いた琴の弦のことを指しております。 周囲でこおろぎが急に鳴きやんだ情景を、まるでその「相如が絃」がぷつんと切れたかの如くと表現しているわけですが、虫の音は、鳴き続けている時より、突然に途絶えた時にこそ、人の心に虫が鳴いていたことをふと気づかさせるという、一瞬の感覚を見事に詠んでおります。 一茶の句は、「綴れ刺せ蟋蟀」の名前の由縁を、日常の風景の中で自然に詠んでおり、冬の到来を生活の準備と重ねてわかりやすい句です。 季節はいつの間にか移ろい、晩秋も半ば、秋の虫の姿や音色に、心なしか何か寂しさを感じて人恋しくなる気持ちを投影して重ね合わせたくなるような時節に入ってきました。 暫し虫の音に耳を澄ませて深まりゆく季節をしみじみと感じつつ、そろそろ冬支度のことも頭の片隅に置いて、早めに少しずつ備えを始めていきたいと思う次第です。 今の世は、有り難いことに、昔と比べて、住まいも快適に過ごしやすくなっており、衣服も、手入れというより、素材の選択や組合せを工夫すれば、冬でも暖かい暮らしが送れます。 人々が長年、積み上げてきた文明や文化の恩恵に感謝しながら、周囲の資源を大切にして、体を充分に動かし、頭を働かせ、心もリフレッシュして、サスティナブルな生活を心掛けていきたいものです。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
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| 2023-10-19 08:01
| 寒露(かんろ)
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2023年 10月 13日
10月13日は、七十二候では50候、寒露の次候、『菊花開(きくのはな ひらく)』の始期です。 菊の花が鮮やかに咲き始めて、秋の深まりを一段と感じる頃。 『寒露』の節気は、「晩秋」の前半にあたりまして、冷たい露が草木に降りて、辺りがひんやりとした澄んだ空気に包まれる中、初候は、越冬へと「雁渡る」季節の到来を告げ、次回の末候では、戸口に迫る「蟋蟀(きりぎりす)」が冬の忍び寄る寂寥感を表しております。 一方、この次候では、秋を代表する花として「菊」が登場し、秋の深まりに静けさや寂しさも漂う中において、明るく鮮やかな色合いと存在感のある形や香りで、「晩秋」の風景を豊かな情景に一変させるが如く、気高く咲き誇ります。 七十二候の花シリーズとしては、春は「桃」「桜」「牡丹」と繋がり、夏は「紅花」「菖蒲」「蓮」と連なってきておりますが、秋は、この「菊」が最初で最後、唯一登場する花であり、続く冬でさえ複数の花がテーマとなっていることも踏まえると、この時季、古来、山上憶良が万葉集で詠んだ「秋の七草」も風情があって良いですが、「菊」は別格の秋の花であることに気づく次第です。 それを表した象徴的な言葉として「菊晴れ」が使われており、菊の花が咲くこの時季、秋空が青く晴れわたることを呼ぶようです。 「菊日和」という言い方もあるようです。 菊は、高貴・高尚で別格の存在とされ、古くから最も品格・品位のある花として、晩春の「牡丹」と並んで『百花の王』とも称えられてきました。 日本では、正に秋を象徴する花として、春の「桜」と並んで馴染み深い花であり、生活や文化に深く根差しております。 とはいいながら、実は、日本には野菊と言われる種は多く自生していたものの、私たちが菊と称している菊(キク科キク属)、すなわち、いわゆる栽培菊や家菊は日本自生の花ではなく、中国から伝来してきたものに由来します。 当初は薬用として伝わり、その後、日本文化に深く根づきながら、鑑賞用の花として改良を重ねて珍重されるようになりました。 このように発展してきた日本の菊は「和菊」と呼ばれます。多彩な品種が創られて、食用をはじめ、生活の中にも取り入れられて広まりました。 奈良時代中期以降、平安時代初め頃までに中国から伝来した際は、延寿の力があって邪気を祓う薬草として伝わってきたということです。 漢方では菊は、解毒・解熱・消炎作用があるほか、目の薬として知られ、目の充血や腫れ・痛み、また、視力の低下にも効果があるとされているようです。 平安時代から、旧暦9月9日、今の暦では10月中頃、菊の盛りの頃合いには、宮中では「菊の節句」とも呼ばれる重陽の節句が開かれるようになり、中国の風習に倣い、菊を鑑賞しながら、菊の花を酒に浮かべた菊花酒の盃を交わす華やかな行事を行って、長寿と無病息災を願いました。 その後、五節句の一つとして時代を超えて各地に広がっていき、鎌倉時代初め、後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好んで「菊紋」を皇室の家紋にした頃から、菊の栽培や育種が進みまして、江戸時代には庶民の間にも普及して、日本の秋を象徴する花となっていきました。 菊の花びらは、清涼で上品な香りを感じさせてくれますが、お店に食用菊も出回る時季となり、存在感ある香りとほろにがさを纏った菊花料理で風情と薬効を味わえます。 観賞用の菊と食用菊は違う種類のようですが、菊は、今でいうエディブルフラワー(食べられる花)として、昔から知られていたわけです。 菊の花びらを浮かべた湯舟に入る「菊湯」や、菊を入れた枕で眠る「菊枕」など、粋な利用方法も知られておりますが、風情だけでなく効果もあり、暮らしの中でいろいろな楽しみ方ができます。 菊は「晩秋」を彩る季節の花、全国各地で10月から11月にかけて「菊まつり」が開かれ、愛好家も多い中、菊の展示会や品評会も盛んに行われ、「菊見」は秋のお花見として風物詩の一つです。 高度な「菊づくり」の栽培技術の成果として、品種や色も多種多様で豊富で、花の大きさによっても「大菊」「中菊」「小菊」などがあり、鑑賞用の仕立て方にも様々な工夫が施されます。 平安時代には、「白菊」が和歌に多く詠まれておりますが、「移菊(うつろひぎく)」と言って、晩秋の頃、盛りを過ぎて花弁の端から紫がかってきてからの風情を愛でる見方があり、『古今和歌集』においては、是貞の親王の家の歌合の歌として、「よみ人しらず」とされる以下の歌が挙げられます。 「色かはる 秋の菊をば ひととせに 再びにほふ 花とこそ見れ」 寒くなるにつれて色合いが変わっていく秋の菊を、一年のうちに二度、美しい色合いで華やぐ花であると見て、思うことよ、ということで、花盛りの花と、しおれかけながら紫や紅に色変わりした花と、両方を賞美しつつも、色彩の移ろいを、人の心変わりに見立てて詠んでいるようです。 古典俳諧の世界からも、江戸時代の三大俳人が「菊」を詠んだ俳句を2句ずつ紹介させていただきます。 三者三様ですが、各人らしい句風を感じ取っていただければ幸いです。 「菊の香や 奈良には古き 仏達」 松尾芭蕉 「菊の花 咲くや石屋の 石の間」 松尾芭蕉 「子狐の 隠れ顔なる 野菊かな」 与謝蕪村 「手燭して 色失へる 黄菊かな」 与謝蕪村 「足元に 日の落ちかかる 野菊かな」 小林一茶 「綿きせて 十程若し 菊の花」 小林一茶 今年も、日常の中で、菊の花を愛でたり、香りを嗅いだり、苦みを味わったり、その霊験や薬効を生活の中に取り入れながら、五感を働かせて思い切り秋を感じ、命も延びるような癒やされた心持ちで、穏やかに充実した時を楽しむことを心掛けたいと思う次第です。 秋も深まる中、寒さが忍び寄ってきており、日に日に寒暖の差が厳しくなってきた感じですので、体調の維持管理には充分に気を配りながら、「菊晴れ」「菊日和」の爽やかな青空の下、澄んだ空気を胸深くまで吸い込んで、是非、晩秋の限られた貴重な日々を、有意義に送っていきたいものです。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
by 72microseasons
| 2023-10-13 08:01
| 寒露(かんろ)
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2023年 10月 08日
10月8日は、二十四節気では『寒露(かんろ)』、夜が長くなって、冷たい露が草木に降りる時季。 早くも晩秋に入り、朝晩はひんやりと冷え込んで、空気が澄んできます。 日中は過ごしやすい秋晴れの日が多くなり、夜には月がきれいに輝きます。 七十二候では49候、寒露の初候、『鴻雁来(こうがん きたる)』の始期です。 雁たちが北方シベリアの大地から日本で冬を過ごすために渡って来る頃。 「鴻雁」とは中国語で雁(がん)のことを指す表現でして、「鴻」は大型の雁などの水鳥の総称とのことです。 「仲秋」では、45候・46候・47候をはじめ、春の候と秋の候の間で、同一テーマを取り扱って、季節のコントラストが効いている旨、解説をしましたが、「晩秋」の最初のこの49候は、4月10日の『清明』の次候(14候)、『鴻雁北(こうがん かえる)』と春秋で一対の関係があり、春を迎えて北方へ帰っていた雁たちが、シベリアや北極圏に迫る地で巣作りと子育ての時期を終えて、今年生まれた若鳥と共に、再び日本に飛来します。 『寒露』の節気では、初候の「雁」の後、次候は「菊」となっていて、秋が深まる中、「花鳥風月」の鳥と花が相次いで登場しますが、雁は、「晩秋」を表象する「鳥」として、人々に季節の移ろいを感じさせる存在のようです。 そして、末候は『蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)』、目に見えず、音のみを想起させる描写の情景を通して、忍び寄る冬が初めて意識される頃になります。 この候は、また、秋の候の中で、9月中旬の『白露』の末候(45候)、『玄鳥去(つばめ さる)』からは暫く経ってからのタイミングであり、とても対照的な印象を与えています。 玄(つばめ)は、春の到来と共に日本に飛来して、夏にかけて巣作りや子育てに勤しんで、「仲秋」には南方への渡りの旅に出る「夏鳥」であり、雁は、玄と入れ違いに日本にやっって来て冬を過ごす「冬鳥」です。「晩秋」を迎え、「夏鳥」の去った後の寂しさを埋めるがごとく、戻ってくるような感じを受けます。 冬鳥としては他に、白鳥、鶴(つる)、鴨(かも)、鶫(つぐみ)などが挙げられます。 雁は、「がん」とも「かり」とも読まれ、「鴈」という漢字が使われることもあります。 そして、毎年、最初に訪れる雁たちのことを「初雁(はつかり)」、その鳴き声を「初雁が音(初雁金)」といいます。 日本人は、古来、雁の行き来に趣や季節の移り変わりを感じとり、多くの詩歌に詠みこんできました。 俳句では、「雁」「雁渡る」は秋の季語であり、「雁帰る」は春の季語です。 また、ちょうど雁が渡ってくる頃に吹く北風のことを「雁渡し(かりわたし)」と呼びまして、秋の季語になっています。 この風が吹き出しますと、秋も深まり、空や海の青色が冴えてくるので「青北風(あおきた)」とも呼ぶようです。 今回も日本の文学、古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人が秋の「雁」を詠んだ俳句を、各3句ずつ挙げて紹介します。 「病雁の 夜寒に落ちて 旅寝かな」 松尾芭蕉 「夜著に寝て かりがね寒し 旅の宿」 松尾芭蕉 「振売の 雁あはれなり 恵美須講」 松尾芭蕉 「初雁に 羽織の紐を 忘れけり」 与謝蕪村 「紀の路にも 下りず夜を行く 雁ひとつ」 与謝蕪村 「北颪(おろし) 雁鳴きつくす 雲井より」 与謝蕪村 「今日からは 日本の雁ぞ 楽に寝よ」 小林一茶 「はつ雁よ 汝に旅を おそはらん」 小林一茶 「鳴くな雁 今日から我も 旅人ぞ」 小林一茶 同じ雁を詠んだ句でも三者三様であり、芭蕉の句は、「病雁(やむかり・びょうがん)」「寒し」「あはれなり」と自らの境遇をも重ねた寂寥感が漂ってくるのに対して、蕪村の句には、瞬間の情景を切り取ったような画家らしい描写が感じられ、一茶の句に至っては、初雁を歓迎する気持ちや同じ旅人としての親近感が明るく伝わってきます。 雁は、古くから、詩歌以外の日本文学にも広く登場して、親しまれてきております。代表的なのは、清少納言の『枕草子』の冒頭の部分です。 「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。 まいて雁などの連ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず」 雁の姿は、昔から、秋の夕暮れ時の風物詩であり、とても趣があるもの、優美であるものとして、深い共感を得てきたことがわかります。 今では雁はなかなか身近に見られませんが、深まりゆく秋の時空の中で、趣や風情を感じる光景、心惹かれる風景を探してみたいものです。 雁の仲間は隊列を組んでV字型になり、あるいは一直線になり、長距離を飛来してくることで有名です。 雁の隊列は「雁の棹」「雁の列」と呼ばれ、夜間に渡ることが多いことから「月に雁」は書画の題材にされます。 雁の繁殖地は北極圏も近い地域のようで、日本の東北地方までの飛行距離は実に4000キロメートル、V字型の隊列は、そのような長距離を飛来してくる為に必要な知恵と工夫と言われております。 V字編隊で飛ぶことで、翼の動きで生まれた上昇気流が斜め後ろに飛ぶ鳥に伝わり、少ないエネルギーで飛ぶことができます。 先頭以外の雁たちは気流の流れを利用して飛びやすいわけですが、先頭の雁は体力ある者が担うものの消耗度合いが大きいので、雁たちは、先頭を時折交代することで、隊列全体として遥かな長い距離を乗り越えて日本に飛来してくるのです。 私たちも、雁たちの必死に力を振り絞って渡って来る見事な連帯感と支え合う雄姿にも学びながら、人として、改めて社会やチームにおける連帯を確かめ、「心理的安全性」の環境づくりを心掛け、力を合わせて仕事をして、また「絆」を大切にして暮らしていきたいと思う次第です。 人類は、気候変動問題など地球規模の試練に直面していることを適切に認識する必要があり、事態改善に向けた行動を具体的に実践することが課題になっております。 地域社会や各種コミュニティでの取組みと共に、企業を主体とした取組み、国家レベルでの政策の推進、更には世界の人々との連携した対応が引き続き大切です。 一年経ちましたが、残念ながら、昨年来の国際情勢の厳しさは改善していないのが実情であり、食糧やエネルギーなどの経済も含めた安全保障が大きな課題となっておりますが、本質的なところを見失わないように心掛けつつ、様々な課題を俯瞰して、総合的に考察しながら、自分たちに出来ることを着実に広げて、改善を図っていきましょう。 地球に優しい環境対応印刷を推進する久栄社では、環境問題に取り組む必要性や、自然の尊さをお伝えしたいと考えております。このブログでは、四季折々の風情ある写真にのせて、古代中国で考案された季節の区分である七十二候をお届けする「七十二候だより」を連載しております。お忙しい日々の気分転換に、気象の動きや動植物の変化など、季節の移ろいを身近に感じていただけましたら幸いです。 \\\ ぜひこちらも合わせてご覧ください /// ▼運営会社久栄社のサイトはこちら ▼久栄社のFacebookはこちら ▼お問い合わせフォームはこちら #
by 72microseasons
| 2023-10-08 08:01
| 寒露(かんろ)
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